光明寺を知る

光明寺の歴史

歴史・逸話について

光明寺は静岡県東部の裾野市公文名(くもみょう)に位置します。裾野市は、県内では三島市・御殿場市・駿東郡長泉町・富士市に隣接し、東側は神奈川県足柄下郡箱根町と隣接しています。公文名のすぐ東側には箱根山があり、光明寺から芦ノ湖までは直線距離で8kmほどです。
『裾野市史』によれば、公文名からは縄文時代のものと推定される日向遺跡と丸山Ⅱ遺跡が発見されており、ちょうど光明寺の裏山にあたる場所にも丸山Ⅰ遺跡があります。丸山Ⅰ遺跡からは土器片が発掘されていることから、縄文時代終末期から弥生時代初頭の遺跡であると考えられています。公文名では中世までさかのぼることのできる集落の形成は確認することはできないようですが、佐野郷に含まれ葛山氏の支配を受けていた時期もあったとのことです。近世の公文名村は、寛永9年(1632年)から小田原藩領、宝永5年(1708年)から幕領、享保元年(1716年)から再び小田原藩領となり幕末まで続いたとのことです。

光明寺には残念ながら歴史的資料が残っておらず、寺史についてははっきりしたことがわかっておりません。しかしながら、平安時代後期の作と考えられている毘沙門天と不動明王など歴史的価値のある仏像が多数奉安されていることもあり、「曹洞宗以前は真言宗の大寺院であった」ということと、「豊臣秀吉の小田原攻めの際に火を放たれた」ため歴史的資料が現存していないということが、代々山内で言い伝えられております。

この地域の歴史的資料である『駿河記』と『駿河志料』に少しだけ光明寺に関する記述がありますのでご紹介いたします。
文政3年(1820年)に島田の桑原藤泰(黙斎)によって完成された地誌である『駿河記』巻三十二の公文名の項目を要約すると、「弘法大師が開基であり大同3年(808年)草創で旧真言宗であること」が記されています。文久元年(1861年)、新宮高平によって著された地誌『駿河志料』巻之六十七の公文名の項目を引用すると、「もと真言の古蹟にて、往時は七堂伽藍の大地なりしが、破頽せしを、永禄年中曹洞派の僧、明綱英震中興して後禅刹となれり」と真言宗時代の繁栄ぶりを窺うことができます。近隣寺院にも弘法大師との縁起が伝えられておりますが、確かな資料が残っておらず空海の伝承に結び付けられたものとも考えられています。開山堂には「當寺元祖空海上人弘法大師 聖位」という古いお位牌が残っており、曹洞宗以前は真言宗寺院であったことについては間違いなさそうです。また、開山堂には「光明寺殿天養圓心大居士 正和3(1314)年12月8日」のお位牌があり、開基もしくは中興開基のものであると考えられますが、『駿河記』にも「誰人か未詳」とありどなたのお位牌かわかっておりません。しかしながら、遅くともこの時には光明寺が草創されたと考えられることから、少なくとも700年以上の歴史があると考えられております。

その後、曹洞宗に改宗してからの歴史については、近隣の寺院との繋がりからある程度のことが分かっております。
永禄元(1558)年に裾野市桃園にある御本寺定輪寺7世の明綱英晨大和尚が開山となり、曹洞宗般若山光明寺となりました。
駿河記(国会図書館デジタルコレクション)

曹洞宗とは


曹洞宗では、お釈迦さま(釈迦牟尼仏)を御本尊とし、福井県にある大本山永平寺を開いた道元禅師(高祖承陽大師)と横浜市にある大本山總持寺を開いた瑩山禅師(太祖常済大師)のお二人の祖師(両祖)を「一仏両祖」として仰ぎます。 お釈迦さまに始まり歴代のお祖師さまによって受け継がれてきた「正伝の仏法」を依りどころとし、坐禅の実践(「只管打坐」)を通して、その身がそのまま仏の姿であること(「即心是仏」)を自覚することを宗旨に掲げています。
それに続く大きな事柄は歴史の教科書にも出てくる「豊臣秀吉の小田原攻め」に関連したものです。 豊臣秀吉の小田原攻めについて、裾野市の資料に書かれており要約すると以下の通りです。 (残念ながら当該ページのコピーしか残っておらず原典は不明です。)
天下統一をすすめていた豊臣秀吉は中国地方の毛利氏や九州地方の島津氏を勢力下におさめ、関東地方に力を伸ばすため小田原の北条氏を攻めることになった。天正18(1590)年3月、東海道を東に向けて出発した秀吉の軍は駿河に入った。北条側も韮山城・山中城・足柄城の防備をかため、本隊は小田原城に引きこもり迎え撃つ態勢を築いた。その後、北条氏は小田原城に3ヶ月籠城したが、内部は次第に動揺し、大きな戦いもないまま7月5日についに北条側が降伏した。北条氏直は高野山に追放され、氏政・氏照は切腹した。こうして秀吉は、関東平定の手がかりをつくり、全国統一の歩みを進めることができた。
この戦いの折、秀吉軍は公文名の光明寺に火を放って七堂伽藍を焼き払い、その明かりを頼りに箱根の山道を小田原に攻め上がったという言い伝えが今も残っている。
また、この資料とは別に、この小田原攻めにまつわる話には後日談が地域に伝えられております。

光明寺に火がつけられたために、不動明王と毘沙門天を僧侶が近くの湿田に埋めて隠したそうです。その後、湿田から「痛い、痛い」と声が聞こえたことから掘り返してみると仏像が見つかったとのことです。毘沙門天の手が折れており、補修されていますが、その時に折れたものだと伝わっています。

光明寺は、このような災難を経験しながらも曹洞宗寺院として受け継がれ、1558年の御開山様以来曹洞宗で27人目の住職が現在務めております。 参考文献
裾野市編さん専門委員会『裾野市史』裾野市発行
桑原藤泰『駿河記 下巻』臨川書店,1932年,p.702
中村高平『駿河志料 第5編』静岡郷土研究会,1930年,p.702

縁起・歴史年表

大同3年/808年
開山堂には「當寺元祖空海上人弘法大師 聖位」のお位牌が奉安されており、空海上人御開創の真言宗寺院であったと伝えられております。『駿河記』にも、「開基弘法大師 大同三年子草創 旧真言宗」と記されています。
正和3年/1314年
12月8日
中興開基もしくは開基と考えられている「光明寺殿天養圓心大居士位」のお位牌が残っていることから、遅くともこの時には光明寺が開かれていたことが分かっております。残念ながらこの方がどなたであるかは判明しておりません。
永禄元年/1558年
曹洞宗として開山
永禄10年/1567年
6月22日 御開山 明綱英晨大和尚遷化
天正18年/1590年
3月 豊臣秀吉軍により放火される。
慶長3年/1598年
11月28日 2世 飾心宗嚴大和尚遷化
慶長19年/1614年
5月13日 3世 分能守存大和尚遷化
寛永11年/1634年
8月14日 4世 同外惠寮大和尚遷化
承應2年/1653年
6月11日 5世 笁巖長天大和尚遷化
宝永3年/1706年
11月25日 6世 長谷暾永大和尚遷化
宝永4年/1707年
1月7日 松林院殿智月妙光大姉位逝去(櫻井家)
享保7年/1722年
5月21日 7世中興 吉峰氲祥大和尚遷化
享保19年/1734年
1月9日 8世 百外寳洲大和尚遷化
宝暦9年/1759年
1月19日 9世 禅喝悦道大和尚遷化
明和2年/1765年
6月23日 11世 大如法寛大和尚遷化
安永3年/1774年
10月7日 10世 抜参東越大和尚遷化
天明7年/1787年
5月27日 12世 悟宗越了大和尚遷化
文化3年/1806年
11月 涅槃図制作(15世至綱寛道大和尚代)
文化14年/1817年
1月21日 13世 至山笁道大和尚遷化
文政12年/1829年
4月25日 14世 悟鳳揚山大和尚遷化
文政13年/1830年
11月25日 15世 至綱寛道大和尚遷化
弘化2年/1845年
8月25日 16世 宗公皆順大和尚遷化
嘉永7年/1854年
7月5日 17世 佛山文道大和尚遷化
明治5年/1872年
6月13日 18世 没外南底大和尚遷化
明治7年/1874年
4月3日 19世 英叟玄珠大和尚遷化
明治14年/1881年
1月11日 20世 現柱泰仙大和尚遷化
明治18年/1885年
12月25日 21世 鐵外潭牛大和尚遷化
明治44年/1911年
23世 天海龍明大和尚晋山結制並授戒会
大正11年/1922年
10月10日 22世 百應綱順大和尚遷化
昭和9年/1934年
涅槃図表装修繕(23世天海龍明大和尚代)
昭和15年/1940年
2月27日 24世 徳山木由大和尚遷化
昭和17年/1942年
11月7日 23世 天海龍明大和尚遷化
昭和28年/1953年
5月14日 25世 大乘文雄大和尚遷化
昭和47年/1972年
6月 26世 中野忠利住職就任
昭和51年/1976年
5月16日 門柱建立
門柱「曹洞宗般若山」寄進者 大胡田商事様
門柱「光明禅寺」寄進者 杉村石材店様
揮毫 裾野市普明寺 長岡随典老師
昭和58年/1983年
5月 感応堂落慶
昭和61年/1986年
10月 本堂落慶
10月20日 26世 文山忠利和尚結制式
昭和62年/1987年
4月 水子地蔵供養塔建立(檀家:故 杉山陽次郎氏ご寄進)
5月 庫院落慶
平成24年/2012年
2月1日 光明寺27世として松岡広也が住職就任
9月 庫裡落慶並びに客殿改装
檀信徒の皆さまの多大なご浄財により住職の庫裡が新築され、旧庫院は客殿として改装されました。
平成26年/2014年
5月30日〜31日 27世宗純広也和尚晋山結制式並びに仏前結婚式
新住職の就任式である晋山結制式に先立ち、御殿場市宝持院御住職桑原眉尊老師に式師を、小山町興雲寺御住職大嶽俊明老師御夫妻にご媒酌人をお務めいただき仏前結婚式を挙げさせていただきました。晋山結制式では、御本寺裾野市定輪寺中村雄爾老師に西堂のお役をお務めいただき、71名のご寺院諸老師にご随喜賜り2日間のお式を無事大円成いたしました。庫裡新築客殿改装をはじめとする一大事業にご寄付いただきました檀信徒のご芳名寄付単牌が本堂に飾られておりますのでご来山の際はぜひご高覧ください。
平成27年/2015年
3月5日 「世界仏教優秀指導者賞」受賞
バンコクのノースバンコク大学にて開催された授賞式において、世界各国から集まった152名(僧侶31名、在家仏教者121名)と共に「世界仏教優秀指導者賞」を世界仏教徒連盟の本部があるタイ国仏教会より受賞いたしました。
これまでの仏教青年会における活動をご評価頂いたものです。
7月8日 24世・25世寺族
中野美津枝永眠(世寿102歳)
8月22日 日韓交流ご一行来山
裾野市海外友好協会主催の「第9回日韓交流チャリティーコンサート ~ネパール地震支援~」が8月22日に開催され、12名の韓国人の皆さまが4日間来日し、その間、光明寺に宿泊されました。国際文化交流のご縁を光明寺に繋いでくださった檀家の勝又明さまに心より感謝申し上げます。
11月8日 
光明寺檀信徒親睦旅行〜
大本山總持寺と横浜中華街〜
24名の檀信徒の皆さまと共に、横浜市にある曹洞宗大本山總持寺を拝観し、日本一の本堂である「大祖堂」にてたくさんの修行僧の読経法要中に六百五十回忌を迎えた峨山禅師さまにご焼香いたしました。ご本山役寮のご老師から法話を拝聴後、石原裕次郎さんのお墓をお参りしました。中華街で昼食並びに散策という日帰りの日程を無事に円成しました。 光明寺としては初めてとなる檀信徒旅行でございましたが、参加いただいた皆さまと親睦を深めながら、実際に仏道に触れ合う良い機会であると感じました。
平成28年/2016年
6月 開山歴住亡僧塔並びに寺族塔建立(27世代)
11月6日 光明寺檀信徒親睦旅行〜大河ドラマ「真田の里」松代と上田城址とドラマ館〜(上田市長谷寺参拝)
平成29年/2017年
4月 永代供養塔建立(27世代)
平成30年/2018年
4月2日 26世再中興 文山忠利大和尚遷化
11月12日 タイ人10名来山坐禅体験
世界仏教徒青年連盟で一緒に活動しているタイ王国のWhite Rabbit Managementの皆さまが10名で来日し、光明寺に宿泊し坐禅体験などをしました。この時に、メンバーのNapatpong氏が日本の僧侶になりたいとの思いが芽生え、翌年住職のもとで得度することになりました。
12月 涅槃図掛軸修復(27世代)
令和元年/2019年
9月 タイ人Napatpong氏得度式
タイ人のNapatpong氏の得度式を修行しました。タイから19人が来日し、護持会長市川逸朗氏、親元藤原早苗氏をはじめ光明寺檀信徒の皆さまにも参列いただき、世界仏教徒青年連盟村山博雅会長、世界仏教徒青年連盟元会長代行坂本観泰老師(天台宗)にもご臨席賜り、岐阜県清安寺大久保厚志住職、長泉町玉泉寺温湯康二住職、長泉町普向寺林純一住職、小山町十輪寺菊地英覚副住職ご随喜のもと、住職がNapatpong氏に「泰俊禅流」という安名を授けました。
10月29日~11月1日 JAPAN ZEN YOGA RETREAT 2019
マレーシアから18名が来山宿泊し、坐禅とヨガをしながら日本文化を体験いただきました。住職も所属する全国曹洞宗青年会国際委員会の運営により、精進料理を提供するなど楽しい三日間を過ごして帰国されました。
令和2年/2020年
9月 ホームページ完全リニューアル・光明寺ロゴ制作
当山のホームページを完全リニューアルし、それに伴いデザイナーの方山れいこ氏に光明寺のロゴをご制作頂きました。
ロゴのコンセプト:
寺紋として使用されている「宝珠」を現代らしくアレンジしました。
富士山を想起させるひし形を3段に重ね、仏教で最も基本的な信仰である仏・法・僧の「三宝」を表現しています。
富士山の裾野にある光明寺でいつまでも三宝が護持されるようにロゴに想いを込めています。

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