地蔵菩薩踏下像(じぞうぼさつふみさげぞう)
【法量】像高83.4cm【概要】木造(寄木造)、玉眼、彩色
【制作年代】(面部)南北朝時代、(体部)江戸時代
当寺本尊として本堂中央壇上に安置される。
左手で宝珠を捧げ持ち、右手は錫杖を執り、左足を台座より垂下させて坐す。服制は衲衣、偏衫を着け、袈裟を懸け、裙を着ける。
寄木造で、玉眼を嵌入し、現状は後補の彩色で覆われる。構造は、頭部は耳後ろを通る線で前後矧ぎとし、三道下で挿し込む。体幹部も前後矧ぎを基本し、薄いマチ材を挟む。さらに両体側部材、脚部材、垂下部材、両前膊部材を各矧ぎ付け、両手首先を挿し込む。頭、体部に内刳りを施し、体幹部前面材の背面寄り部分を板状に刳り残す。像背面に四角い窓を開け、金具にて開閉できる構造としている。
像内には寛延二年(1749年)等の年記と共に多数の結縁者名などが記され、また、木札二枚(寛政九年及び慶應3年)、大般若波羅蜜多経一冊、般若理趣 経一冊が納入されていた。
本像は全体のプロポーションの上では、頭部がかなり小さいことが目立つ。また、表現の上でも、頭部は肉付けに細やかな抑揚をもつのに対し、体部ではそれがかなり概念的な造形となっており、衣文も形式化している。これらの点から、本像は頭部と体部は別作と判断される。このうち頭部は力強く男性的な顔立ちながら、やや癖のある表情を見せることから、南北朝時代の制作とみられる。一方、体部は江戸時代の補造と思われ、像内の銘記に記される寛延三年頃がその制作時期と考えられる。また、銘札により、寛政九年(1797年)に修理が行われたことも判明する。本像は体部が補造であるのは惜しまれるが、頭部は優れた中世の作風を伝えており、また、像内に銘記や納入品を残しているのも市内では希少であり、この面からも重要な作例といえよう。